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環境とは?/ レイク

[ 73] 環境 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83

環境(かんきょう)は、広義においては人、生物を取り巻く家庭・社会・自然などの外的な事の総体であり、狭義においてはその中で人や生物に何らかの影響を与えるものだけを指す場合もある。特に限定しない場合、人間を中心とする生物に関するおおざっぱな環境のことである場合が多い。
環境は我々を取り巻き、我々に対して存在するだけでなく、我々やその生活と係わって、安息や仕事の条件となり、また狭義の環境については、我々が汚染し、破壊するという関係性の中で大きな問題になってきた。
環境の中でも主に自然に関する諸問題を環境問題という。 生物とそれを取り巻く環境との学問を生態学という。
自然とは山や川、木々や草花、動物、気象などであり、それと区別して人為的に作られた造形物、例えば、建物、道路、家具などは物的な環境として挙げられる。
パソコンにおいては、オペレーティングシステムやアプリケーションの設定を環境設定などと呼ぶことがある。
より厳密に考えると、環境とは、あるものを主体にとった場合における、それを取り巻き、直接間接に関係を持つものすべてを指すものである。したがって、主体をどう取るかによってその内容が変化する。
たとえばある動物の種を主体に考えた場合、その種を取り巻く他種の生物との関係(食物連鎖や競争関係など)、それにその周囲の物理的・化学的条件が環境として挙げられる。しかし、その種の中の一個体を取り上げた場合、これに加えて種内の個体間の関係(個体群密度や家族など)を環境条件として考えなければならない。
この病気の原因はチッソ水俣工場の廃液に含まれた水銀が水俣湾の生物に取り込まれ、食物連鎖を通じて変化、濃縮された上で地域住民がそれを摂取し、その毒性によって発病するものである。いわゆる公害病というのは、このように人間が原因物質等を作り、それが直接に人間に来るのではなく、その地域の生物群集に取り込まれ、生態系の循環を通じて再び人間に取り込まれたときに、そこではじめて結果が表れるものである。公害というのは、公の害、つまり人間の働きで環境に働きかけたしっぺ返しが人間に戻ってきた、という把握に基づく。つまり、環境の主体を人間ととらえ、人間がそれを取り巻く環境を汚染したため、その悪影響を人間自身が受けた、と見るわけである。
しかし、この病気の被害者を主体に見れば、話は大きく食い違うことになる。その場合、窒素水俣工場という一部の人間の活動が、海を汚した結果、その環境汚染の影響で有毒となった魚を食べた食物連鎖を通してネコや漁民が被害を受けた、という風になる。この場合、明らかに窒素水俣工場側が加害者、漁民が被害者の立場となる。この結果の差は、人間集団内の差異を視野に入れるかどうかに関わっている。
ただ、いずれの立場を取るにせよ、人間を取り巻く環境を含めて考えなければならない問題ではあるので、それを環境問題というのは間違いではない。しかし、環境という言葉が内容を曖昧にするのに役立っている側面を忘れてはならない。 2006年は水俣病公式認定50周年にあたり、時の環境大臣の小池百合子が政府として公式謝罪した。
この項目「環境」は、環境に関連した書きかけの項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めています。(P:環境)

 

[ 74] クローズアップ2008:G8環境相会合 「ポスト京都」へ波及、期待薄 - 毎日jp(毎日新聞)
[引用サイト]  http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20080527ddm003010118000c.html

神戸市で開かれていた主要8カ国(G8)環境相会合は、議長総括に先進国の具体的な温室効果ガスの削減目標を盛り込めないまま、26日に閉幕した。7月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に向けて弾みをつけることを目指していたが、消極的な米国への配慮もあり、京都議定書に定めのない13年以降の削減の枠組み(ポスト京都)への波及力は期待薄の内容に終わった。今後、サミット議長国日本の指導力が問われる展開になりそうだ。【山田大輔、武内彩、松田文】
「前進だが、小さな一歩だ」。ドイツのマハニッヒ連邦環境事務次官は26日、閉会後の共同会見で会合の成果をこう述べた。具体性に欠けた合意の内容を象徴する言葉だった。
議長総括には、昨年のドイツ・ハイリゲンダムサミットで合意した「50年までに世界の温室効果ガス排出量を少なくとも半減することを真剣に検討する」との目標から、より踏み込む決意が盛り込まれた。だが「ポスト京都」に直結し、今回の会合の主要テーマだった中期の具体的数値目標は示されなかった。
13年以降のポスト京都の枠組みへの合意を目指し、来年12月に開かれる国連の気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)まで残りは1年半。このため、今回の気候変動を議題としたセッションは冒頭から「まず先進国が率先して削減姿勢を示すことが重要だ」と、中期目標の設定を求める意見が相次いだ。
南アフリカは国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告に基づき「90年比で25〜40%の削減」を先進国に要求。中国も「結果の出ない長期目標の議論を続けるより、中期目標に焦点を絞り、20年までに何をしているか決めるべきだ」と訴えた。昨年のサミット議長国ドイツも「拘束力のある中期目標を先進国が持たないままでは、ポスト京都の合意は難しい」とG8諸国の足並みを一致させるよう唱えた。
これに対し、最大の排出国である米国は「現実的な目標であるべきだ」と拒否の姿勢を貫いた。議長の鴨下一郎環境相も「今後の国際交渉で決まること」と及び腰だった。
その結果、中期目標の数値は盛り込まれなかった。日本の場合、国内で合意形成ができないまま会合に臨み「福田康夫首相が言及していない数値を鴨下環境相が言うわけにいかない」(環境省幹部)という事情もあり、苦しい役回りを強いられた。
中期目標に代わる合意の「目玉」として、総括は「今後10〜20年間に世界全体の排出量を減少に転じさせるため、先進国は国別総量目標を設けて対策を強化する」との道筋を描いた。しかし、これすら今後10〜15年間に減少に転じることを求めるIPCCの報告よりも5年間の遅れがある。背景には「国内の排出量を(17年後の)25年に減少に転じる」と削減に消極的な立場の米国に合意を促すための妥協がうかがえる。
温暖化の進行を考えれば、各国が足並みをそろえた対策は待ったなしだ。だが「米国への配慮」は、「50年の半減」を目指す長期目標にも波及したようだ。総括は「先進国が顕著な削減を成し遂げて先導すべきだ」と抽象的な表現にとどまり、当初の議長案にあった「50%を大幅に超える削減」の表現は消えた。
環境省担当者は「(先進国の共通認識で文書化しなくても)同じこと」と弁明するが、日欧が米を次期削減枠組みに引き入れようとする苦心の策ともいえる。各国の駆け引きが交差し、削減推進、慎重の両者の溝が埋められないまま会合は幕を閉じた。
今回の議長総括について日本政府は、米国を含めた先進国が「国別総量目標を掲げて取り組むべきだ」との内容で合意した点を「大きな前進」(外務省幹部)と評価している。しかし、米国の反発などを受けて削減の数値目標が削除されたことは、「50年までの半減」を義務化させたい日本にとって、思惑が外れた格好だ。
7月の北海道洞爺湖サミットで日本が目指すのは、温室効果ガスについて(1)「50年までに50%以上削減」との長期目標を「義務化」に昇格させる(2)各産業別に排出削減量を積み上げる日本の提案「セクター別アプローチ」に参加国の評価を得る−−の2点。削減に慎重な米国の賛同をいかに得るかが焦点となる。
神戸会合では「セクター別」に関する進展はなかったものの、議長総括に国別総量目標の必要性を盛り込むことに米国も賛同したため、日本政府内に「米国の慎重姿勢の転換を促す材料になる」との見方が広がっている。
一方、数値目標が米国の反発で削除され、「長期目標の設定」も抽象的な表現にとどまったことについて、外務省幹部は「これからの交渉が大変だ」と指摘する。米国の存在が、義務化に向けたハードルの高さを改めて浮き彫りにしたためだ。
今後、日本は主要排出国の中国やインドと連携を深め「米国包囲網」を築きたい考えだが、日本は将来、中印両国にも削減義務を負わせたいだけに、両国の警戒感は強い。環境エネルギー政策研究所の大林ミカ副所長は「昨年12月の温暖化防止バリ会議で先進国の役割が明らかになったのに、今回はあいまいにされた。洞爺湖サミットまで1カ月の指導力が重要。次期枠組みづくりという緊急課題に取り組むため大きな宿題が残された」と話している。【高山祐】
・「50年までに世界の温室効果ガスを半減」より踏み込んだ長期目標の設定に、多くの国が強い意志を表明した。排出半減は、先進国が大幅な削減を達成することで主導する。
・今後10〜20年間で世界の排出量を減少に転じさせるには、先進国が国別総量削減目標を掲げて取り組むべきだ。途上国の行動も必要となる。
・産業・分野別に削減に取り組むセクター別アプローチは、国別総量削減目標を設定するためのもので、これを代替するものではないと明確にした。
今回の会合は日米欧のG8構成国に加え、中国やインド、韓国などの10カ国などを招いた「拡大版」で開かれた。日本政府が各国に示した議題は(1)生物多様性(2)ゴミの減量、商品の再使用、再生使用の3R(3)気候変動−−の3本柱だが、気候変動(温室効果ガス削減対策)に特に集中して議論を行った。結果は7月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に報告される。
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[ 75] 環境問題 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E5%95%8F%E9%A1%8C

昔から、人類は自然環境を資本として利用しながら文明を発展させてきた。このため、21世紀を迎えた現在において、原始的な狩猟採集生活に比較してはるかに高い生産力を実現し、文化的な生活を保つことができたのである。しかし、自然環境を利用することで、否応無しに自然環境に負担をかけることになる。時にそれは過大なものとなり、逆に人類の生活を脅かす結果となる事態もみられるようになった。
古くより、人間活動と自然に関する記述が書物に残されてきたものの、長い間、これが世間で広く認知されることは無かった。人間活動と自然に関する問題が、初めて一般に取り上げられるようになったのが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年)だとされている。同書は産業界からは激しい非難を浴びたが、DDTの全面禁止など、その後の米国の環境行政に大きな影響を与えた。このころから、環境問題が世間に認知され始め、学問的に環境問題を調査研究する動きが本格化する。
1972年、ローマクラブが取りまとめた報告書『成長の限界』が出版された。現在のまま人口増加や環境破壊が続けば、21世紀半ばには資源の枯渇や環境の悪化によって、人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしており、破局を回避するためには、地球が無限であるということを前提とした経済のあり方を見直し、世界的な均衡を目指す必要があると論じている。
その後酸性雨、オゾンホール、異常気象、地球温暖化など全地球規模の環境の変化が顕著になってくるにつれ、人々の環境問題に対する関心は徐々に高まってきた。
日本には、主に産業活動に起因する公害という概念がある。もともとあった「公害」の概念に植物や動物などの自然環境の汚染が加わって「環境汚染」となり、次に自然の許容限界を超えた負荷によって起こる諸問題への概念が広がった上、オゾン層や地球温暖化などの地球環境問題が加わって「環境問題」へ、環境問題の考え方は次第に展開していった。また、これらの問題を地球環境の破壊と考え、「環境破壊」と呼ぶこともある。
2006年、国際連合食糧農業機関(FAO)は畜産が環境破壊への主な脅威となっているので生産方法を改善する必要があるという報告をしている[1]。畜産は温室効果ガスの排出量が多く、ガスは酸性雨の原因であり、飼料を作るために多くの森林が伐採され、水の浪費や水質汚染の主要な原因であるという統計結果が得られたためである。
環境問題の根本的な考え方として、環境に負担をかける要因のことを表す環境負荷という言葉がある。人類が何らかの活動を行った場合、必ずといっていいほど自然に何らかの負担(環境負荷)を与える。しかし、自然には自浄作用や修復作用といった作用があり、小規模な負担であれば自然に解消することができ、環境問題として影響が出てくることはない。しかし、自然が持つ作用の「閾値」を超えた負担がかかると、解消しきれなかった負担が環境問題となって周囲に影響を及ぼし始める。
問題を解決するためには、まず環境負荷をこれ以上増やさないようにし、次に環境負荷を減らしていくような段階を経て、環境負荷を自然の許容範囲にまで落とし、これを長く継続させていくような流れとなる。
環境問題では、環境負荷をかけている当事者がそれ相応の影響を受けることは少ない。大気汚染や水質汚染が大気や水を通して周囲に広がっていくことから分かるように、影響は広範囲に広がり、負荷をかけていない他人にも影響が及ぶというのが大きな特徴である。そのため、当事者は環境に負荷をかけているという意識が薄くなりがちで、影響が出始めてから気付くことが多い。
環境問題では、負荷をかけていない他人への影響を含めて、当事者が全ての責任を取るという汚染者負担原則という考え方がある。汚染などの悪影響が小さければ問題はないが、悪影響が大きい場合や、環境に負荷をかけている当事者が判明していない場合は、当事者の負担が重過ぎて対策がままならないことがある。その場合、社会全体でも責任を負い、例えば税金を使って汚染による被害の補償を行うなど、当事者や影響を被っている者への支援を行う。
また、当事者の自発的な対策が行われない場合や、当事者が多数おり協力が難しい場合もあるため、社会全体が中心となって対策を行う必要がある。環境汚染の影響が健康に及ばないよう基準(環境基準など)を定め、これに基づいて計画を立てたり、汚染の監視や規制を行ったりする手法が取られ、トップダウン型対策の代表的な方法である。
組織が自発的に環境に関して方針や目標を定め、それに沿って活動し評価などを行っていくことを環境マネジメント(環境管理)といい、ボトムアップ型対策の代表的な方法である。
ただ、環境問題への対策は政治的組織(国、都道府県、市町村など)単位になってしまうため、対策の効力が及ばない他地域の汚染が自地域に及んでしまう、越境汚染(特に国家間の越境を言う)という問題もある。これについては民間の活動では追いつかず、政治的な働きかけ、国際的な議論や協議が必要となってくる。
環境問題の解決を目的として、あるいは思想などを背景にして、環境を保護することを環境保護といい、これを継続的に行っていくのが(市民活動としてみた場合)環境保護活動や(社会運動としてみた場合)環境保護運動である。環境保護のうち、特に自然を対象とするものを自然保護と呼ぶ。環境保護を推進したり啓発したりする団体を環境保護団体といい、自然を対象にするものを特に自然保護団体と呼ぶ。
環境問題を対象とする学術分野が環境学である。環境化学、環境社会学、環境経済学、環境倫理学、環境政策学などを始め、環境とその影響、それを取り巻く問題などを扱う。
環境に関する思想にはエコロジーやガイア理論などがある。一部は一般的にも広く浸透しているが、独自の思想もみられる。こういった思想を踏まえて環境保護を推進していこうとするのが環境保護主義であり、環境保護団体のほとんどがこの主義を掲げている。
環境問題への対策を考えるに当たって重要な考え方がある。持続可能性は、ある物や活動が、人間活動を維持し持続させていけるのかどうかという可能性について指す言葉である。持続可能な開発(持続可能な発展、持続可能な社会)は持続可能性を最大限尊重した開発を進めていくことである。持続可能性を保持しながら資源やエネルギーなどを利用していく社会を循環型社会といい、省資源、省エネルギー、ゼロ・エミッション、3Rなどさまざまな形がある。
環境問題は、産業活動も主原因であることに間違いはないが、個人などの民生活動がもう1つの主原因でもある。産業活動については、その組織的な特徴を生かして一律な対策をとり、罰則などを定めるのも容易である。しかし、個人については、多種多様な考え方や生活様式(ライフスタイル)があるため一律な対策をとるのが難しく、罰則を定めるのも容易ではないため、一人一人の考え方や行動に委ねられている部分が大きい。そのため、民間による活動が盛んになる傾向にある。
営利を目的としない市民活動をNPOとして優遇する体制が整備されてきている。また、カーシェアリングやレジ袋の使用自粛など草の根レベルでの環境に対する取り組み(草の根民活)も盛んになってきている。
市民の環境意識の高まりを受けて、環境モニタリングなどの監視制度も生まれた。交通分野でのモビリティ・マネジメントのように、自発的な環境対策を推進しようとする動きもある。
また、非政府組織という形での市民活動のほか、国家的な取り組み(排出規制、環境基準、研究)や、企業による取り組み(環境技術の開発、ゼロ・エミッションの追求、リサイクルなど)といった様々な形で、環境対策や環境保護運動は推進されている。
環境保全・環境負荷低減全般に関する活動などについては、グリーン購入やそれを補助する環境ラベリング制度、3Rなどがあり、制度化されたり行政や民間による支援が行われたりしている。
制度化に関しては、この分野全般を対象とする環境法という分野があり、環境基準や環境税などの手法がある。環境コンサルタントや環境カウンセラーなどは、環境対策全般について扱う専門家であるが、制度化などには国によってばらつきがある。
企業や団体などに関しては、環境会計の運用や環境マネジメントシステムの導入を行うことが、総合的な対策につながる。また、環境問題への対策を好機と捉える企業・団体も多く、「環境先進国」を中心に環境ビジネスや環境市場といったものが生まれつつある。
草の根活動、善意による地道な活動、危機意識による活動などが拡大してきている一方、環境問題の解決のためには、貧困や人口問題への対策、利益主義や自己の繁栄のみを追及する考えなどの思想の転換といった、大規模な対策が必要であるという指摘もある。
環境問題全般への対策として、都市への人口集中や過疎を軽減し、地域単位でローカル・コモンズを利用していくことが挙げられる。これにより物やエネルギーの輸送は最小限で済み、環境汚染に対する責任がとりやすくなるなどの効果があるとされる。日本では、古くからの「生活の知恵」を再考し、循環型社会の実現や里山保全などが行われている。スローライフや自給自足も、環境負荷の軽減は大きいとされる。
窒素酸化物による大気汚染、水の富栄養化に伴う様々な現象、重金属や農薬などによる土壌及び水系の汚染、といった従来良く知られたものの他、21世紀に入ってからは新手の海の汚染「海洋酸性化」に関する話題がぼつぼつ出始めている。
これは二酸化炭素が海洋に溶けこむ事により海水が酸性化するというもので、進行すると有孔虫、翼足目等の石灰質の殻を持った海洋プランクトンの殻が溶けて激減し、最悪の場合其処から全生態系が総崩れになる可能性があるという代物である(詳しい説明求む)。
自然保護については、世界自然保護基金や国際自然保護連合を始め大小さまざまな自然保護団体、個人の活動家などが活動を行っている。
開発前に環境アセスメントを行う手法や、自然保護区の設定などが積極的に進むところもある一方、政治的あるいは経済的な理由などにより十分な保護が行われていないところもある。生きるのが精一杯で経済的な余裕がない貧困国もアフリカ地域など多くあり、それらの国からは環境保護以前に開発、国民生活の向上が必要との主張も根強い。
一方で、ある特定の生物や自然だけを保護することによる問題が発生したり、エコテロリストなどの過剰な保護活動が問題となったりしている側面もある。
1997年、京都にて「気候変動枠組条約第3回締結国会議」が開催された。ここでは京都議定書により二酸化炭素、メタン、フロンガスといった温室効果ガスの総排出量を削減することが取り決められた。削減目標は国ごとに割り当てられ、先進国全体で2012年までに1990年の総排出量から5.2%削減することが求められている。これは2050年までに総排出量を半減させるという長期目標に比べて微々たる量であるが、排出削減で合意したこと自体に一定の意味がある。京都議定書については、ロシアはいわゆる「ホットエア」の問題がある他、EUは東欧への技術導入でCO2削減が比較的容易であり、日本などは他国に比べて追加的にCO2を削減するのに大変費用がかかるとされる。
温暖化問題に理解のあったクリントン政権のアル・ゴア副大統領が選挙で敗れ、京都議定書から米国ブッシュ政権が離脱し、議定書の発効自体が危ぶまれた時期もあったが、ロシアが枠組みに入ることにより発効した。その後、米国は大排出国のみの多国間技術協力パートナーシップを進め、独自路線で国際的温暖化対策を進めている。
環境問題の本質的課題である地球温暖化問題の解決には、アメリカ・中国・インドの排出削減義務が必須であり、途上国である中国・インドを説得するには、まず米国の京都議定書が必須とする意見もある。その一方で、各国目標値を恣意的に決めるのではなく排出量取引を活用して効率的に削減を行うべきだという議論や、技術協力を主軸としたインセンティブを主とした手法をポスト京都議定書では採用すべきだとの声もある。
産業に効率化・能率化が図られると、機械の導入などによってエネルギーの消費が増えるように、産業の発展・生活水準の向上・環境負荷の増加は切っても切り離せない関係にある。環境負荷を軽減しようとすれば、産業の発展や生活水準の向上が妨げられるとの考えは根強く、現在の環境問題対策の大きな足かせとなっている。
環境市場や環境ビジネスは拡大し続けており、環境保護をテーマにした商品や企業も増え続けている。自らの損失を省みない献身的な環境保護活動・環境対策が民間を中心に行われている一方、利益のための環境保護活動・環境対策も行われている。利益が生まれ、かつ実効性のあるものもあるが、中には実効性が無く環境負荷が増えるものを「地球にやさしい」などと称しているものもあり、それらはグリーンウォッシングとも呼ばれる。
これについては、環境保護や「エコ」を前面に押し出したり、スポンサー企業との関係が絡むマスコミやメディアの影響も大きい。これに対して環境教育の推進が行われているが、これ自体も環境保護を前面に押し出したものであり、環境リテラシーの向上を求める声がある。ヨーロッパでは、オーフス条約により多くの国で環境に関する情報入手や意思決定などへの市民参加が推進されている。
例としてハイブリッドカーを挙げると、ハイブリッドカーは環境に優しいと宣伝されるているものの、その開発、製造、廃棄処分などには多大なエネルギーを使うため環境負荷は大きい。従って、実用化や普及、更なる技術革新を行わなければ環境負荷の低減は望めない。また、軽自動車、電車、自転車、徒歩などのほうがはるかに環境負荷は少ない。そこに大きな矛盾を指摘する声もあるが、生活水準の維持やライフスタイルとの折り合いの関係で、難しい部分もある。
環境問題全体の対策を考える上で、ある問題への対策が他の問題に悪影響を与えたり、それぞれの環境問題への対策が互いに相容れないものであることもある。例えば、温室効果ガスの排出量が少ないためヨーロッパではディーゼル自動車の利用が推進されているが、大気汚染物質の排出量が多いため日本では規制対象となるなど、対応が分かれている。資源の節約のために再生紙の古紙配合率を高めると、製品化にかかるエネルギーや資源が増大するといった問題もあるが、両方の解決のためには更なる作業の工夫や技術開発などが必要となる。
また、消費者の視点として、環境に優しい製品などの環境負荷低減効果(環境効果)を正しく見極める必要があるとされる。例えば、電気自動車は排気ガスや温室効果ガスが出ないとされているが、動力源の電気を発電する過程で、ガソリン自動車よりは少ないものの、温室効果ガスなどが排出されている。一般的な認識では、全く排気ガスを出さないといった誤解も生まれており、環境効果の適切な表示や、環境リテラシーを求める声がある。
比較的新しい概念として、環境負荷を低くして文明を永続させるための持続可能な発展や持続可能性ということが国際的に盛んに言われている。これは「将来世代の利益を損なわずに、私たちが発展できるレベル」で経済発展をするというコンセプトで、特に途上国の開発の問題では頻繁に使われている。
パーマカルチャーという永続可能な農業・生活設計やそれを実践したエコビレッジなどが各地にあり、なかでもオーストラリアにあるクリスタルウォーターズが有名である。
原義は「生態学」であったが、意味が拡大して現在は「環境に優しい」「環境に配慮した」「環境負荷が少ない」という意味で用いる。略してエコと呼ぶことも多い。意味や定義が曖昧であるため、「健康にいい」「自然な」といったところにまで意味が拡大されることもあり、環境問題とはかけ離れた意味で使われることもある。
地球と、そこにすむすべての生物や海洋・大気・地圏などの自然環境は1つの生命体あるいはシステムのようなものだとする考え方。生物と自然環境の相互作用や恒常性に関しては、「ガイア理論」という形ではないながらも広く理解されている。また、この1つの生命体あるいはシステムに生じた障害が環境問題であるという地球免疫説はガイア理論から発展したもの。地球免疫説からは、障害を回復しようとする過程で起こるのが気候変動などの災害であるという考え方、何もせずとも自然に回復可能であるという考え方の2つが派生している。
発展や利便性追及の流れから、もともとの自然に回帰することで、環境問題を解決しようとする考え方がある。また、文明と環境問題が密接な関係を持つことから、文明を回避あるいは後退させることで解決しようとする考え方もある。この流れは、ラッダイト運動や日本では環境負荷の低い精進料理・江戸時代の生活様式など伝統を見直そうという動きに窺うことが出来る。自然を理想とする考え方もアナーキズムやルソーなど一部のロマン主義に見ることが出来、アスコーナではその種の共同体が試みられることもあった。
生活の中に自然を取り入れる、環境に配慮した生活を行うといった、ライフスタイルに踏み込んだ環境問題への取り組みもある。「エコライフ」や「LOHAS」などさまざまなものがある。環境負荷の低減に貢献しているものもあるが、単に自然を取り入れただけであって環境負荷低減の効果は無いものもあり、根強い批判がある。
ここに挙げているものは、人為的な要因によって発生しうる環境問題であり、人為的な要因がなくても発生することがある問題も含まれる。
日本では、四大公害病が表面化に拡大したことに伴い社会的関心が高まった。1967年の公害対策基本法、1993年の環境基本法、1997年の環境影響評価法により法的規制は少しづつながらも拡大している。1990年代後半にはダイオキシン問題が大きくクローズアップされ、規制が進んだ。
ヨーロッパでは、酸性雨の影響が広範囲に及んだことなどから対策が進んだ。水・大気汚染規制、ごみに関する規制などが比較的早期に始まり、ドイツ、スウェーデン、デンマークをはじめ多くの国では市民の環境に関する意識も高いとされている。また、EUという広域的な枠組みによる規制や政策も行われている。

 

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