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東海とは?/ セントラルファイナンス

[ 70] 東海地方 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E6%96%B9

東海はこの項目へ転送されています。その他の用法については東海 (曖昧さ回避)をご覧ください。
東海地方(とうかいちほう)は、日本の地域区分の一つで、本州中央部のうち太平洋側の地方である。名称は五畿七道の東海道による。
北は富士山、赤石山脈、木曽山脈、飛騨山脈など火山活動や造山運動により形成された中央高地と接し、南は太平洋に面している。
伊豆半島の西側に広がる駿河湾岸は火山活動や造山運動により形成された山岳地帯を狩野川、富士川、安倍川、大井川といった大河川の浸食作用で形成された小規模な平野が分断している。
駿河湾の西側の遠州灘沿岸部及び三河湾沿岸部は駿河湾岸より火山活動や造山活動の停止が比較的早かったため、海面の下降により形成された台地が広がっている。
伊勢湾沿岸は木曽三川などの河川の堆積作用により、濃尾平野や伊勢平野などの大規模な平野が広がっている。
岐阜県北部(主に飛騨地方)は造山活動によって形成された中央高地の一部で、飛騨山脈など日本有数の山岳地帯となっている。
地質的には、糸魚川静岡構造線(糸静線)や中央構造線が縦断している。沿岸がプレート境界になっているため、東海地震や東南海地震などの警戒区域になっている。
歴史地理学的な東海地方は、木曽三川と富士川の間の東海道沿線に当たり、愛知県の全域と静岡県の富士川以西に当たる。これは、畿内政権の領土になった三重県と、関東の諸政権の領土になった静岡県東部の、双方に挟まれた地方という範囲である[要出典]。
戦国時代から江戸時代にかけては、この木曽三川と富士川の間が、特に「海道」と呼ばれていた。主な用例として、「海道下り」、「海道一の大親分(清水次郎長)」などがある。
平野部は気候が温暖なので、登呂遺跡に見られるように、古代から人類の定住が見られた。特に濃尾平野においては、弥生人の勢力が隆盛を誇った。
律令制の五畿七道で東海道が整備されたが、東海道は字義通り、「東へ通じる海の道」であった。律令時代は山陽道が大動脈だった時代で、東海道は関東から畿内や北九州へ向かう防人の通行路となった。
源頼朝京都での内部抗争の末に、伊豆国の蛭ヶ小島に流刑された。後に頼朝が鎌倉幕府を開くと、富士川以東は鎌倉幕府の領土となった。
戦国大名が濫立すると、東海道は権力争いの場となった。中でも尾張国と西三河の2地域からは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった「戦国三大武将」を輩出した。また駿府(静岡)は、今川義元と徳川家康の本拠地となった。
江戸幕府が開かれると、江戸(東京)と京都を結ぶ東海道五十三次が整備され、その往来は日本第一の規模となった。この東海道沿線の中には、宿場町や城下町から発達した都市も多い。
明治維新で中央集権体制が成立すると、名古屋が地方統治の拠点となり、それ以降は政府機関が集中するようになった。又、廃藩置県期の東海地方には、名古屋県、額田県、豊橋県、浜松県、静岡県、足柄県などが分立していたが、1876年8月以後は愛知県と静岡県に削減され、現在に至っている。
高度経済成長期には、太平洋沿岸と瀬戸内海沿岸を中心に重化学工業地域が造成されたために、東海道線沿線には東海工業地域や中京工業地帯が造成され、工業生産の中心地帯になった。
太平洋ベルト上に位置しており、日本を代表する工業地帯が形成されている。このうち、愛知県及び三重県の一帯を中京工業地帯、静岡県の主に臨海部一帯を東海工業地域と呼ぶ。
多くの工業都市が連なり、産業と人口が集積していることから、東京都区部から大阪市にかけての都市群を「東海道メガロポリス」という事もある。

 

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